手塚国光と不二周助の公式関係|部長と、手塚に次ぐ部内No.2

手塚は3年1組。青学男子テニス部の部長で、委員会欄には生徒会長と入っています。左利きのオールラウンダーで、持ち技は零式ドロップショット、手塚ゾーン、手塚ファントム。座右の銘は「敵は己の内にあり」。口癖として記録されているのは「油断せずにいこう」です。

不二は3年6組、卒業アルバム製作委員会。右利きのカウンターパンチャーで、つばめ返し・羆落とし・白鯨の三種の返し球を持ちます。一人称は「僕」。シングルスもダブルスもこなし、河村隆と組むことが多い選手です。そして呼び名が二つある。ひとつは「天才」、もうひとつが「手塚国光に次ぐ部内No.2」。後者は必ず手塚の名前とセットでしか成立しません。

この二人の公式戦の記録を並べると、見事に交わりません。手塚は関東大会で跡部景吾、全国大会で木手永四郎、樺地崇弘、千歳千里、真田弦一郎。不二は関東大会で芥川慈郎と切原赤也、全国大会で白石蔵ノ介と仁王雅治。同じ大会を、別のコートで勝ち上がっていく。同じ学校にいる限り、部内1位と2位の公式戦は一度も組まれません。

不二周助が挑み、手塚国光が途中で止めた試合

天才と呼ばれる人は、たいてい底が見えません。不二の場合は数値にも出ない。青学のデータマン乾貞治ですら、不二のテニスについては正確な情報を取れていないと書かれています。乾汁も、青酢を除いて効かない。読ませない人です。

読ませないうえに、勝ち方まで選びます。都大会シングルス2、聖ルドルフの観月はじめ戦。不二はわざと5ゲームを先取させてから逆転し、実力差を見せつけました。相手に合わせて水位を上げ下げできるということ。

その不二が、自分から試合を申し出た場面があります。『新テニスの王子様』のU-17合宿。手塚は跡部景吾の助言もあり、自分のためにドイツ留学を決めて合宿を離れることにしました。離脱を決めた手塚へ、不二が一戦を持ちかける。そして手塚は、不二が負けることでテニスをやめるつもりで試合を挑んだことを見抜き、試合を中断しています。

乾のデータをすり抜ける人の意図が、ネットの向こうから読まれている。しかも手塚が取った手段は、勝って黙らせることではありませんでした。途中でやめる。試合を最後まで成立させないことで、不二が用意した「負けて終わる」筋書きだけを潰しています。

コートで向かい合う二体の木製マネキンのうち、片方がラケットを下ろして相手の試合を途中で止めている場面

止める側に立った手塚国光は、止められなかった側でもある

手塚自身の身体には、逆の記録が残っています。中学1年のとき、先輩にラケットで左肘を殴られて負傷。その肘を庇ってプレイを続けた結果、左腕に爆弾を抱えることになりました。体の柔軟性が低いこと、技の性質、自己犠牲を厭わない献身性。故障しやすい理由として、そのまま人物設定に並んでいます。

ここからはPUTONの読みです。テニスを続けるために自分の腕を差し出した人だからこそ、テニスをやめるために試合を差し出す不二の手つきが、コートの途中で見えてしまったのだと考えています。同じ形をした行為を、一度自分でやっている人の目です。

塚不二という並び順は、どこから来たのか

ファンのCP名では、手塚を先に置く「塚不二(づかふじ)」がほぼ一択です。2026年8月5〜6日時点のpixiv未ログイン検索では、塚不二が3,151件に対し、逆順の「不二塚」が211件。約15倍の開きがあります。内訳はイラスト1,055、漫画408、小説1,688。半数以上が小説という、少し珍しいバランス。

古い時期でも位置は動いていません。2013年冬のコミケカタログのCP表記調査(総表記388件)では塚不二が8位。2009年のYahoo!知恵袋には「公式で王道なのは氷帝の鳳宍と青学の手塚×不二」という回答が残っています。ファン側の評価であって、公式の設定ではありませんが、支持の古さは確認できます。

ここで一度、手塚が誰に何を渡したかを見ておきます。手塚は中学1年のとき、当時の部長・大和祐大から「青学の柱」を託されました。そして手塚がそれを継承させた相手は、部内No.2の不二ではありません。

「越前…青学の柱になれ…」

アニメ『テニスの王子様』第26話「青学最強の男〈後篇〉」/高架下のコートでの非公式戦後

言葉が向かったのは、入学したての1年生でした。不二へ向かったのは言葉ではなく、ラケットを下ろす側の判断です。同じ部長から、渡されたものの種類が違う。

塚不二の順番が15倍差で固定されている理由も、たぶんここにあります。PUTONの読みとしては、この二人の記録では動作の主語が手塚に寄りすぎている。試合を申し出たのは不二ですが、意図を読んだのも、勝負を止めたのも手塚です。差し出す不二と、受け取らない手塚。名称の順番は、その一戦の形をそのまま写しているように見えます。

その後の二人は、所属ごと分かれました。手塚は世界大会のエキシビションでドイツ選手としてQPと組み、跡部・入江ペアに圧勝。準決勝シングルス2では幸村精市に勝っています。不二はW杯グループ予選の「チーム竹」に選ばれ、立海の仁王雅治とペアを組んでオーストラリア戦へ。ユニフォームも相手も、もう同じではありません。それでも手塚国光と不二周助を並べたとき最初に出てくるのは、1番と2番という序列ではなく、決着しなかったあの試合です。勝敗の記録だけが、いまも空欄のままです。